America Report Part 10 翼よ、あれが成田の灯だ

米国最後の朝が来た。既に仕事を終えて帰るだけの身となった我々にとっては本当に最後の朝だ。とうとう1週間世話になったヒルトンの部屋からも去る時が来たか。今日は午後1時過ぎにシータック空港発の飛行機に乗るため、出発までの時間を使って、別に買いたいものも無いのに空港近くのショッピングモールに行くことになっている。そして成田到着は4時頃だ。そう思うと自然と部屋の片付けも軽やかに進む。朝に弱い俺としては珍しいことだ。そしてテーブルに1ドル置いて部屋を出て、チェックアウトをする。フロントに居るのは来たときと同じ早口のねえちゃんだ。あーあ、朝っぱらからあの早口を理解するのは大儀なことだぞ、と思ったら大した会話もなくチェックアウトは終わる。外では珍しく先輩が先に来ていて煙草を吸っている。何だ、起きようと思えば起きれるのではないか。俺も早速煙草を吸う。大量の荷物を持った日本人男二人が玄関前で煙草を吸うのは明らかにシアトルの朝にはそぐわない光景である。

Smoking at hilton しかしとりあえず一服しなければ一日は始まらない。

よっしゃー、もうヒルトンともおさらばだ、なんて言いながら荷物をカッコ悪い車に積み込む。とりあえず腹が減ったので近くのスーパーにサンドイッチでも買いに行くことにする。24時間営業なので便利だ。土曜日の朝9時前なので客は少ない。ついでに品揃えも少ない。仕方ないので適当に見繕ったサンドイッチとジュースを購入。ジュースは日本より安いが、サンドイッチは逆に高い。無理矢理ヘルシーに仕立て上げた豆入りサンドイッチは俺の口には合わないが、まあ米国人のデブ対策にはこうせざるを得ないのだろう、と勝手な解釈をする。ついでに会社まで歩いていって、記念だとか何とか言いながら建物の写真を撮る。どうせ後で見るわけは無いのだが。

Relax in front of office もう終わったと言わんばかりに偉そうな態度をとる俺。しかし米国人から見ればタダのガキにすぎない。

そして今日の目的地、シータック空港近くの"SUPER MALL"に向かう。別に何がしたいわけでもないのだが、ガソリンも無いし、時間も中途半端なのである程度は妥協せざるを得ない。いつの間にか馴染んでいたベルビューの街を離れ、フリーウェイに乗ってシータック方面へと向かう。土曜日の朝ということで道はガラガラなのだが、目的地に到着するには何処でフリーウェイを降りればよいのか今一つはっきりしないのと、燃料節約のために、スピードは控えめにしてのんびりと進む。ガソリンなんて入れれば済むのだが、ここまで我慢し続けたのに最後にガソリンを入れるのは負けを認めるに等しい(相手が何なのかは想像にお任せする)ので、意地でも入れてはならない。そうこうするうちに空港を過ぎ、フリーウェイの道端には"SUPER MALL"の看板が目立つようになった。まあこれに従えば良いのだろう。

看板に従ってフリーウェイを降り、田舎道を進む。何もないところに突然デカイ建物が現れるのが米国流である。それは判っているので適当に一本道を進んでいると、おぉ、見えたぞ。しかしスーパーなんて言っているワリには大してデカくない。まあ折角来たので車を停め、店に入ることにする。こういう所には必ず入り口にパンフレットがあるのでそれを手に取るが、やっぱり大したことない。何だこれは。ベルビュー・スクエアの方が全然デカイではないか。フリーペーパーの広告には地域最大なんて書いてあったくせに。嘘を書くのは地球の歩き方だけだと信じていた我々が馬鹿であった。

Super mall そのくせして写真だけは取る。やっぱり我々が一番馬鹿だった。

店内はベルビュー周辺のショッピングセンターとあまり変わらず、特に見るべきものは無いのだが、俺は何となくFree Styleの時計を$29で買う。普通はもっと偉そうな時計を買うのだろうが、俺は偉くないのでそんなのは似合わない。$29で充分だ。先輩は奥さんに頼まれた香水を買うべく化粧品店で奮闘している。その姿を俺は店の外から見ていたが、ああだこうだと身振り手振りでやったあげく、結局英語を理解出来ないのがたたって何も出来ないままに情けない表情で出てきた。また暫くうろついたが、特に見るべきものもないのでさっさと空港に向かうことにした。

車に乗り込んで空港に向かう。しかし先輩はまだ化粧品ショックが抜けていないのか、さっき来た道を完全に忘れてあらぬ方向に向かってしまう。ガソリンが残り少ないのにそんなことをしている場合ではないのだが。何とか元来た道に戻り、フリーウェイへと戻る。

しかし困ったことに、我々は肝心のレンタカー返却所が何処にあるのかを知らなかった。これは問題だ。とにかく空港のすぐそばにあるのは判っているので近くまで行ってはみたが、目指す"Hearts"の看板は何処にもない。ガソリン警告灯は とうの昔に点灯している。もうこの状態で50マイル位は走っている。いよいよまずいことになってきた。しかし相変わらず返却所は見つからず、結局空港を一周してしまった。車内も険悪なムードになってくる。さあ困った。いよいよまずいぞ、ということで、ここに違いないと確信した場所に無理矢理入ってみたら、やっぱり違った。間違えて一般駐車場入口に入り込んでしまったのだ。しかしレンタカーを借りたのも駐車場の中なのだ。仕方ないので係員に聞くと、そこを出て左に行って....なんて言う。その通りに走ってみると、おぉ、前方の道路案内看板に"Rent-a-car Return"の文字が! まさかこんな普通の看板に書いてあるとは、気付くわけがないではないか。

いやー助かった。もうガソリンは殆ど無いに違いない。危ないところだった。うろちょろしているうちにそれなりの時間が経ってしまって、飛行機の時間すら怪しい筈なのにガソリンの量ばかり気にしていたのが笑える。係員の案内に従って車を停め、適当に手続きを終える。適当に終えられるようになったとは我々も成長したものである。そしてシータック空港へ荷物を引きずって向かう。

出発までは多少の時間があるので、まずは御安心の一服である。この先にはどうせ喫煙場は無いだろうから、これが最後の一服だろう。4箱しか持ってこなかった煙草が10日間も持ちこたえるとは、米国の嫌煙運動の恐ろしさを知った次第である。米国自体は悪くないが、ここまで喫煙者が隔離されてしまうと住みにくいだろうなあ、とも思う。そして一服を終え、搭乗手続きをする。もう手慣れたものである。上手い具合に喫煙席が空いていたのでそれにして、今度はでかい荷物は素直に預けて中に入る。

例によって喫煙所はないが、上手い具合に免税ショップを見つけたのでそこで買い物をすることにする。そこにあるようなモノには基本的に興味が無いので、煙草だけ買うことにする。セーラム・ピアニッシモは10箱で17ドル弱。日本よりちょっとだけ安い。先輩はここでも奥さん御依頼の香水を探す。今度は店員が日本語が判るので先程とは段違いのスムーズさである。そして首尾よく香水を手に入れたらしい。実はさっきの店にもあったんじゃないか、と毒づいてみようかと思ったが止めておく。

買い物を終えた我々は、ロビーにてしばしの待ち時間を過ごす。適当にうろついてみるが、あまり魅力的な店は無いので結局何もしないまま搭乗時間となる。いよいよ米国を離れる時が来たか。それにしてもここまで長かった。なんて思いながら免税商品を受け取ろうとすると、ここでトラブル発生。先程受取証を渡した筈だが、なんて言われるが俺にはそんな記憶はない。いや、良く考えてみれば貰ったような気がするが、それはとにかく今手元に無い。仕方ないので貰っていないと言い張って、サインをして煙草を受け取る。これが無いと喫煙席にした意味がないのだ。そしてブリッジを渡り、我々が研修を受けた会社のソフトを使って製品管理されているBoeing747に乗り込む。そう思うとますます飛行機が恐ろしくなるのだが、もういいかんげん慣れつつある。そして席に向かうと、そこは来たときと全く同じ場所であった。

しかし唯一つ異なるのは、我々の前列から40人くらいが「英会話のGEOS」だか何だかの体験留学のクソガキ共であったことだ。もうとにかく五月蝿くて仕方がない。こいつらは一体何なんだ。どうせ親の金で米国に行かせてもらって、結局英語なんかこれっぽっちも出来なかったに違いない。それが証拠に、フライト・アテンダントのババァの言ったことをこれっぽっちも理解できない。5日間否応なく英語で研修を受けさせられた俺の方がまだマシだぞ、と思うが、先輩は相変わらずババァの攻撃にあたふたしている。

そして搭乗が終わったようだ。いよいよエンジンが趣味の悪い轟音を立て始める。あーあ、また9時間もこの轟音と付きあわねばならんのか。その位なら別にずっと米国に居てもいいんだが、とも思うが、横浜ベイスターズの今後が気になるのでここはとりあえず我慢して帰国しなければならない。飛行機はじわじわと動き始める。先輩は例によって子供の写真を持ちだしている。いい加減慣れてもいいんじゃないか、と他人を見ていると思うが、俺も気付くと足を踏ん張っている。飛行機はその巨体をのそのそと滑走路まで持っていき、さらにエンジンはものすごい轟音を発する。またいやーな瞬間だ。しばし間を置いて、ゼロヨン開始。そして何の問題もなく離陸を終えた。

あー、やっと終わった。なんて言いながら、禁煙サインが消えたのを確認してまずは米国離脱の一服をする。ババァがドリンクを持ってきたので、ビールを頼んで乾杯する。その間も前に居るクソガキ共はギャーギャーと騒いでいる。困ったことにドリンクという単語すら理解できないようで、引率の教師の指導を仰いでいる。しかもガキのくせに煙草が吸いたいとか何とかほざいている。テメエら自分の金で来たわけでもないくせに偉そうな事を言うな、と思うが、実は我々も会社の金で来たので偉そうな事は何も言えないのである。「旅行の行程は行きに比べて帰りは早く感じる」の法則に従って、飛行機はガンガン進んでいく。そうだ、それで良いのだ。この轟音と五月蝿いガキ共に付きあう時間は短いほうが良い。ババァ共はビールの缶を回収したかと思ったら矢継ぎ早に食事を持ってくる。今回はビーフとチキンの選択の余地はないようだ。まあその方が迷わなくて良い。

そして暫くすると映画が始まるのだが、ガキ共がうろちょろしていて肝心の画面が全く見えない。全くもって困った連中である。注意したいのはヤマヤマだが、騒ぎたくなるその気持ちは判らないでもないので放っておく。音に集中しようにも、どうも機械の調子が悪いようでしばしば無音状態になり、ストーリーが良くわからない。仕方ないので英語モードにするとちゃんと聞こえるが、それは残念ながら聞こえるだけで理解するには至らないのが悲しいところである。仕方がないので映画は諦め、本を読んだり寝たりしながらひたすら成田到着を待ち続ける。

何となく機内の時間を過ごしている間に、気付いてみたらもう成田まで1時間という所まで来ていた。ガキ共の動きはさらに慌ただしさを増し、サイン帳だか何だかを交換しあっている。さすがに感極まって泣き出すような奴は居ないようだが、殆ど小学校の卒業式状態である。我々は呑気に一服しながら今ごろ野球はこうなっているに違いない、等と下らない会話をする。帰りは行きと違って面倒な書類の記入は無いようだが、とりあえずパスポート関係だけは出しやすい場所に準備しておく。さらに財布の中身をドル仕様から円仕様に入れ換える。

そうこうするうちに、眼下には祖国の大地が見えるようになってきた。とうとう戻ってきたか。うーん、長い10日間だったなあ。米国も悪くは無かったけど、やっぱり帰ってきたと思うと落ち着くよなあ、なんて感傷に浸りたいところなのに相変わらずのガキ共の五月蝿さに全てを阻害される。そろそろ成田も近くなり、喫煙サインとシートベルト着用サインが灯る。いよいよ成田だ。翼よ、あれが成田の灯だ、なんてカッコつけたいところだが、残念ながら昼間なので灯も何もない。そしてまた嫌ーな瞬間がやってくる。地面が徐々に近づいてくる。先輩は既に顔面蒼白、冷や汗タラタラである。せめて残り何メートル、とか実況中継してくれればまだ良いのだが、いきなりドンと来るので気分が悪い。そしてそのドン、が来た。問題なく着陸。おぉー、10日ぶりの祖国の大地だ!

飛行機はノロノロと飛行場中心部へと向かう。この時間がやけに長いのが飛行機の嫌なところである。ここで途中で下ろされてバスなんてことになったらさらに嫌なのだが、今回はそういうことは無いようだ。無事飛行機を降り、入国管理所?へと向かう。とりあえずここはパスポートを見せただけで殆ど何もしないで終わる。会話が日本語で出来るというだけで米国滞在時とは比べ物にならない安心感である。安心ついでにトイレに行くと、ここにも見慣れたTOTOの便器がある。こんな下らないことでも帰国したことを痛感する。

しかし、荷物を受け取って電車に乗ろうとした瞬間に帰国の喜びは一気に消失する。何しろ人がとんでもなく多いのだ。多分出迎えか何かなのだろうが、とにかく多い。こっちはでかい荷物を引きずっているのだから出来るだけ空いていて欲しいのだが、日本ではそうはいかない。やっぱり米国は良かった。人混みが大嫌いな俺にとっては日本、特に空港、駅、都心は最悪だ。いきなり胸くそ悪くなったのでとりあえず外に出て一服する。米国では喫煙者はあまり見かけなかったが、ここでは若いのもオッサンもネエチャンもモウモウと吸っている。

堂々と喫煙を終え、若干落ち着いた我々はそばにあった銀行でドルを円に替え、偉そうに成田エクスプレスの指定を取る。会社の金だから何も躊躇する必要はない。しかも上手い具合に大船行きがあったので、俺は当然それを選択する。先輩は同じ電車で横浜までの切符を買う。そしてホームに向かう途中で日刊スポーツを購入する。先輩はスポニチだが、真のスポーツファンは日刊スポーツを選択するものである。さらにジュースを買い込み、ホームで待つ成田エクスプレスに乗り込む。

早速スポーツ誌をむさぼるように読む。日本語で新聞を読めるというのは実にすがすがしい気分である。しかも我らが横浜ベイスターズが調子が良いことを知り、すがすがしさに輪をかけてくれる。電車内でジュースを飲みながらのスポーツ新聞とは、いつの間にか自分が完全に日本モードになっていることを感じる。 成田エクスプレスは徐々に都心に近づいてくる。当然そこに有る筈の東京タワーが見えてくると妙な安心感を覚えたりする。ドロンズが帰国したときも同じような気分だったのだろうか。いやー、日本語の看板ってちゃんと読めていいなあ、なんて下らないことを話しているうちに先輩は寝てしまったようだ。仕方ないので先輩のスポニチを奪い取って読んだりしているうちに、電車はそろそろ横浜到着の時間となった。

ここで先輩とはお別れだ。先輩は当然明日は時差ボケ休暇である。何ともうらやましい話で、俺は時差ボケ間違いなしのこの状況で、翌々日の名古屋出張に備えて明日は最低でも午後から出社しなければならない。成田エクスプレスなんかどうでも良いから休ませて欲しいのに、そうもいかないらしい。全く困った会社である。俺の一人や二人居なくたってどうにでもなるだろうが。実際10日間居なかったんだし。なんて思っているうちに大船到着。大船で降りる客はごく僅かであり、この分では大船行き成田エクスプレスが廃止されるのも時間の問題であろう。そして重い荷物を持って東海道線に乗り換え、見慣れた辻堂の駅へと降り立つ。

これが実家であれば親に迎えに来いとでも言うところであるが、あいにく実家でもないし、辻堂には車を持っている知り合いは居ないので、荷物をゴロゴロ転がしながら自宅へと向かう。ここでタクシーなんぞは絶対に使わないのが貧乏人のプライドである。普段10分かからない距離を15分かけてようやく我が家に到着。荷物を持って階段を上がり、10日間閉ざされていた部屋の鍵を開ける。ちょっと湿っぽい匂いが俺を迎えてくれる。よっしゃー、帰ってきたぞー! とばかりに鞄を放り投げるように部屋に入れる。そしていつも日本に居たときにしていたように、部屋の電気をつけ、窓を開け、テレビをつけ、意味もなくMacの電源を入れる。こうして普段通りの状況を作り上げ、ますます帰ってきたことを実感する。

本来なら、翌日に備えてさっさと寝なければならないところではあったが、腹も減ったし、機内で寝たせいであまり眠くもない。丁度実家に修理を依頼していたスキャナーが届いているという留守電が入っていたし、久々にPIAZZAを運転したいということもあったので、実家に飯を食いに行くことにする。10日ぶりの左側通行での運転は逆に戸惑う。米国でやったのと同じように、今度は「左、左、左....」とつぶやきながらの運転だ。10日ぶりのエンジン始動ではあったが、我がPIAZZAはすこぶる調子が良い。そして実家で飯を済ませ、スキャナーを持って帰宅。そして久々にお手製カクテル「薄紫伝説」で帰国を祝いつつ、スキャナーの動作確認を終え、900通にも及ぶメールを読破する。流石に眠くなってきたので素直に寝ることにする。久々の自宅の布団が心地良い。しかし何で帰国翌日が会社なんだ???

Epilogue あの研修は一体何だったのか?



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