ピアッツァ Group5について
ピアッツァはプライベートエントリーにて国内耐久レースに参加し、サーキットを走っている。
1982年8月29日鈴鹿耐久シリーズ第3戦鈴鹿1000km耐久レースにてデビュー。レースはISCC(Isuzu Sports Car Club)の有志一同がエントリーしたもので、車の製作はORIENT SPEEDが担当した。
内装はインパネを含め全て取り外され、バケットシート1脚と最小限の装備のみ取り付けられている。
備考 | ||
製作 | ORIENT SPEED | |
車重 | 約880kg | |
ボディ | オーバーフェンダー及びリヤウィングはFRP製 | ボディ外装パーツは全てORIENT SPEED製 |
エンジン | G180WAを2Lにボアアップ。(48φ Weberキャブ2連装) | 出力230PS/9,000rpm (実際は180ps程度との事) |
前後コイル | 特注 | |
Fショック | ISP製 | |
Rショック | 特注 | |
ブレーキ | フロントは住友4ポッドキャリパー | マスターバックは撤去 |
ホイール | スピードスター |
注)
フロントスポイラー,リアウィングのディテールは各レースによって微妙に異なる。
90年代までオーバーフェンダーの金型は現存していたが、現在は廃棄。
なお、ピアッツァGr.5に装着されていたホイール等の一部の部品は1987年のGRIPSクリスマスパーティーにて一般に販売された。
戦歴
開催日時 | 大会名 | 備考 |
1982.8.29 | 鈴鹿耐久シリーズ第3戦鈴鹿1000km耐久レース | 11位 |
1983.4.3 | インターナショナル鈴鹿500km自動車レース | リタイヤ |
1983.6.5 | ’83富士ロングディスタンス・シリーズ第1戦 | リタイヤ |
デビュー戦の鈴鹿1000km耐久レースでは無事完走し、11位となる。
次の鈴鹿500km自動車レースでは予選は走行したものの、決勝では周回出来ずリタイヤした。
参加3戦目の富士スピードウェイでの全日本富士500kmレースでは、折からの好天で気温が上がるに従い路面温度が上昇し、路面補修したばかりの第1コーナーの出口付近でアスファルトが新旧繋ぎの部分で剥離し、レースが進むにつれそれが小さなつぶとなって路面に散乱した。(舗装の剥離は最終コーナーでも見られた)
ピアッツァ Gr5は第1コーナー出口で前車がばら撒いた舗装の欠片にタイヤを取られてコースアウトし、サンドドラップに突入してリタイヤとなった。(本レースでは同様のコースアウト→リタイヤは他車でも続出した)