What is “maxim”?

“maxim”という単語を英和辞典でひいてみると、

[名詞]金言、格言

となっています。このページでは我々の経験、調査を元に、PIAZZAにまつわる格言、PIAZZA乗りの密かな心情等をご紹介します。

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PIAZZAさえこの世になければ…..

PIAZZAに乗ってしまった(知ってしまった?)がためにその後の人生が変わってしまった人は、独自の調査によればかなりの数に及ぶ。PIAZZAを2台、3台と乗り継ぐ人も多いようだ。ちなみに、いわゆるIMPULSE顔になって以降のPIAZZA NEROの購入者の多くは、それ以前のPIAZZA NEROからの乗り換えらしい。

いすゞXを忘れるな

言うまでもなく、PIAZZAが1979年のジュネーブ・ショーで初めて発表された時の車名は「アッソ・デ・フィオーリ」であるが、実は同年の東京モーターショーにて発表された時は「いすゞX」という車名で発表されていた。どういうわけか自動車評論家の多くはこの事実を忘れている。

英国にIMPULSE無し

IMPULSEをPIAZZAの輸出仕様車と勘違いしている雑誌は多いが、IMPULSEはPIAZZAの北米仕様車である。欧州ではISUZU PIAZZAだし、豪州ではHOLDEN PIAZZAである。

「ア」が違う!

ピアッツアという車はこの世に存在しない。我々は雑誌等で「ピアッツア」という名前を見るたびに「おぉ、こんな紛らわしい名前の車があったのか」と憤慨するのであるが、たまにいすゞ自動車自身が「ピアッツア」という車についての文章を書いていたりするので余計に紛らわしいのが困ったところである。。ちなみに、ピアッツァという名前の希代の名車がいすゞ自動車の手により生産されていたのは紛れもない事実である。

メーカー純正エンジンスワップ

PIAZZAは発表当初は117coupeでも使用されていたG200型エンジンを使用していた(DOHCにI-TECがついたりして多少異なるが)。しかし1984年、アスカに搭載されていた4ZC1-T型エンジンが追加され、G200DOHCの135PSから180PSに出力は大幅に向上した。だからと言って売り上げが大幅に増えたわけではないのが悲しいところではある。

何故いすゞではなくスバルなのか

富士重工業のアルシオーネSVXに共感を抱くPIAZZA乗りは多い。一時はSVXが次期PIAZZAであるとのデマも流れたりしたからなおさらである。SVXはいすゞの手により世に出ていたならもっとGiugiaro御大のデザインに忠実であったに違いない。そして、そう思っている人間の多くがJT221型PIAZZAの登場に複雑な思いを抱いたのであった。

117クーペと一緒にしてはならない

結果としてPIAZZAは117クーペの後継車という扱いになっていたが、そもそもの成り立ちは「スーパージェミニ計画」であり、そのコンセプトはSSW – Super Sports Wagonであった。従って、117クーペのように生まれつきフラッグシップカーだったわけはない。しかしながら、あの価格を見れば誰もがそう思わずにはいられないだろう。なにしろソアラより高かったのだから。

ジェミニと一緒にしてはならない

PIAZZAのシャシーはPF型ジェミニのシャシーとレイアウトを同じくする。しかしこれはレイアウトが同じなだけで部品が共通なわけではない。詳細はあなたのPIAZZA度チェック 上級編を参照のこと。ちなみにAsso di fioriはPFジェミニと共通であった。

戸締まりに御用心を

PIAZZAのパワーウインドウはすぐ壊れることで有名である。とくにあまり動かさない左側は特に弱い。開けたら閉まらなくなることが多いので注意が必要である。しかも窓だけではなく、ドアを閉めるときにも用心が必要だったりするのが困ったところである。

ああ哀しき旧DINサイズ

1987年8月28日以前のPIAZZAは、オーディオスペースがDINではない。だから、市販のカーオーディオは付きそうで付かないのだ。若干の加工(中段の場合はコンソールを削る、上段と下段はブラケットも要加工、初期のJR130はブラケットごと中期型用に交換した後に加工した方が早い)をすれば付くのだが、それでも3段分離型のために2DINなんてものとは基本的には一生無縁である。ちなみに、最下段には奥行きのあるオーディオが入らないのは最初から最後まで一緒である。

ひとでなし

Irmscherにのみ、あの特徴的なホイールカバー(通称ヒトデカバー、大の字カバー)が選択できるが、ホイールカバーを外してみると中にあるのは何故かアルミホイールなのだ。しかもこれが意外とカッコ良かったりするので、ヒトデカバーをあえて外して走る人も居たりする。この状態を「ひとでなし」と言う。ちなみにこのカバー、JT150/JT190ジェミニやJJ120アスカとの互換性は全く無いが、エアバルブのカバーだけは流用できる。すでにメーカー欠品なので、ヒトデ絶滅とも呼ばれる。

違いのわかるクルマ

PIAZZAは10年もの長い間生産され、またNEROの存在、グレードの多さ等から実に様々な仕様が存在する。この違いを探すのが実に楽しいものであり、違いを多く把握していることがPIAZZA乗りの喜びであったりもする(ホントか?)。だからと言って単純に好みのパーツを寄せ集めて一台作れるか、というとそうもいかないところが難しく、面白いところである。

かっこいいんだから、しょうがない

PIAZZAに限らず、同じ車に長く乗り続けると、大抵どこかが壊れるものである。しかし、どこが壊れようとPIAZZAはかっこいいんだから、そんなことはどうでも良いことなのである。PIAZZAがこの世に存在していることこそが最も重要なのだ。

思わず武者震い

かなり古い話だが、神奈川県大和市のいすゞ系中古車ディーラー(いすゞ中販)が特別仕様中古車を販売していた。中古車をイルムシャーバージョンに仕立てたものなのだが、その名前が奮っている。例えばジェミニが「若武者(WAKAMSCHER)」、アスカが「影武者(KAGEMSCHER)」、ビッグホーンが「荒武者(ARAMSCHER)」と、全てイルムシャーに引っ掛けて「ナントカ武者」という名前になっていた。しかし、何故かPIAZZAだけは「武者震い(MSCHER BLUE)」だったのだ。これは発売元の名付けネタが尽きたからそうなったのではない。PIAZZAが思わず武者震いが走る程の美しさを誇っていたからに違いない。

嗚呼、憧れのブリティッシュグリーンよ

最後期のPIAZZAのイメージリーダーとして君臨したhandling by LOTUS。その中でもブリティッシュグリーンマイカの持つ一種独特の雰囲気は多くの人の心を惹き付けてやまない。ちなみにこの人もブリティッシュグリーンマイカにやられてしまった一人である。

しかしながら、元々販売された期間が短いためもあって、今から探すのはかなり手間がかかる。さらに5MTなんていうと下手するとバックオーダー10台なんていうことにもなるらしい。欲しい人は憧れで終わらないうちにさっさと買いに行くべし....だそうですよ、北関東支部長。

しかしまあPIAZZAも偉くなったもんだ

その車齢を考えれば、PIAZZAなんて二束三文で取引されてもおかしくない車である。しかし昨今の絶版車ブームも関係あるのかどうかは不明だが、ここ1年くらい少しずつ値上がり傾向にある。埼玉の某ショップがカーセンサーに100万円台のhandling by LOTUSを3台も掲載した時は一同驚愕したものである。いやあ、PIAZZAも偉い車になったものである。同年代のソアラやプレリュードは今いくらなんでしょう? と強がってはみたものの、部品供給面では惨敗もいいところだったりする。

そして500台

1981年、月間販売目標台数3,000台でスタートしたPIAZZA。某CG誌では「当のいすゞ自身が目を回すほどのヒットになるのではないだろうか」とまで絶賛されていた。しかし、1984年のターボ発表の頃には「デビュー当時の予想とは裏腹に最近の月刊販売台数が2~300台で低迷する….」などと書かれてしまった。ターボ追加で商品力の向上を図ったものの販売台数は向上せず、1988年のhandling by LOTUS発表時の月間販売目標台数はとうとう500台になってしまった(しかもシリーズ全体で)。しかしそんなことを嘆くよりも、そんな状況でもhandling by LOTUSを開発し、世に出してくれたいすゞ自動車に感謝すべきである。

そんなに欲しけりゃある時に買え!

JR型PIAZZAが製造中止になってもう何年にもなるが、その美しいスタイルは最新テクノロジーで固められた新型車のあふれる現在でも相変わらず人々を魅了し、PIAZZAに乗りたい、中古車を買いたい、という人は案外多い。そういう人達は口を揃えたように「現存する台数が少なくて、なかなか見付からない」と言っている。しかし、これはある意味では詭弁である。新車が売っていた当時であればディーラーに行けばいくらでも売ってくれたし、ブリティッシュグリーンも手に入ったのだから。だから、中古車が無いからと言って決して文句を言ってはならないのだ。

でも、もっと問題なのはPIAZZAが誰にでも買える程安い車ではなかった、という点なのだが。

唸る車

PIAZZAは美しい。とにかく美しい。PIAZZAのオーナーは、乗るときに「うーん、美しい」と唸り、降りて車を離れるときも「うーん、やっぱり美しい」と唸る。それほど美しい車なのだ。しかし、唸るのは車のオーナーだけではない。いざ乗り込んで運転すると、PIAZZAのエンジンは回転数を上げるとともにそのスタイルにはまるで似合わないトンデモナイ唸りを上げてくれる。まさに人車一体で唸る車なのだ。

故障ではない。仕様だ。

PIAZZAには隠されたフィーチャーが幾つかある。例えば、運転席側のダッシュボードにあるエアコン送風口は、そのままでは風は出てこないが、上方に引きだすときちんと風が出てくる。これはそのままでは風がサテライトスイッチに当たってしまうため、これを避けるためにこのような仕様になったのだが、このことを知らずに故障していると思ってしまう人がいるらしい。故障ではない。これはそういう仕様なのだ。このような所にも工業デザイナー達の心意気を感じずにはいられない。しかし惜しむらくは、せっかく持ち上げた送風口が走行中の振動で下に降りてしまって、結局風が出てこなくなってしまう点にある。

黄金の右足

PIAZZAは製造年度の関係から「チンコン」と五月蝿い速度警告音が一定の速度(デジタルメーターで105±2km/h、アナログメーターで105±4km/h)で鳴るようになっている。これがうざったいのでわざわざメーターを取り外して配線をカットする人も居るが、何もそんなことをしなくても鳴らさないようにする方法はある。音が鳴るポイントではじわじわとアクセルを踏み続けて、徐々に速度を上げていくと五月蝿い警告音が鳴らないのだ(但し個体差アリ。4ATでは難しい)。これを常に実行するためには経験と修業が必要なのは言うまでもない。後方から妙な気配を感じた時などに思わず急激なアクセル操作をして警告音を鳴らしてしまい「ぬぉーっ、しまったっ!」等と言っているようではまだまだ修業が足りないのである。

黄金の左足

PIAZZAの油圧クラッチは難しい。非常に難しい。何が難しいかって、そのミートポイントがさっぱり判らないのである。普通はつながり始めると何か足に感じるものがあるはずなのだが、それが殆ど判らないのだ。これは特命リサーチを受けてFERCに調査依頼した結果、多くのPIAZZA乗りが証言しているので間違いない事実である。そこで多くのPIAZZA乗りは自らの感覚を磨くことでミートポイントを体感的に覚えているのだが、靴を履き替えて靴底の厚さや爪先の感覚が変わった場合等にその感覚に若干のズレが生じ、発進時に情けない挙動を示してしまったり、しまいには右手を一ひねりさせる必要が生じてしまうことがある。そうならないためには、やはり絶ゆまぬ努力が必要なのである。

頭上に注意

PIAZZAのハッチゲートダンパーは弱っちいことで有名である。デビュー後半年の81年12月に既に使用部品が変わっていたりするほど弱い。パーセルシェルフをハッチゲートに引っ掛けた状態でトランクを漁っていたりすると、その重みにダンパーが耐え切れなくなってハッチゲートごと落っこちてきてしまったりする。大抵の場合は頭でハッチゲートを支えたり、パーセルシェルフは引っ掛けなかったりして落ちないようにするのだが、もしハッチゲートが落ちてきて、トランク部分とロックする金具部分が背中を直撃したりしたことを思うとおちおちトランクに荷物も入れられない。というわけでハッチゲートダンパーを強化された88型以降のものに交換するのはPIAZZA乗りの常套手段として良く知られている。ここで注意しなければならないのは、強化されたのはリヤウイング、リヤスポイラーが付いているグレードのものだけだ、という点である。何も付いていないXJ等のグレード用のものは何も変わっていないのだ。86型Irmscherに乗っている人が88型XJ用のダンパーを見つけて、よっしゃ後期型用に交換だ、と思って交換してしまうと、下手するとダウングレードになってしまうので注意が必要である。

疲れていても大丈夫

PIAZZAのパワーステアリングは自然な操舵感覚が得られることで有名だ。発表当初の雑誌では非常に評価が高かったものである。そしてこのパワステには、JR120のみ操舵力切り替えスイッチがついており、パワーアシストの度合いを3段階に切り替える事ができる。とはいうものの、隠密調査部隊の報告によれば殆どの人は最も重い「1」レンジを選んでおり、そんな切り替えスイッチは意味がないではないか、という声もある。

確かに、一度気に入ってしまえば普段はそのスイッチを切り替える必要はないかもしれない。しかし、スイッチの使い方は幾らでもあるのだ。例えば、普段やらない運動をした後等腕が重く感じる時には、通常最も重い状態にしている人はスイッチを切り替えることにより楽に自宅まで辿り着けるのだ。

このように、PIAZZAという車は運転者の様々な状態に応じて姿を変えることが出来る車なのである。しかし、普段最も軽い「3」にしている人には何の意味の無い例ではあるが。

どうしてこんなに残念なのだろうか

Asso di Fioriの発表から二年弱、ようやく正式に国内で発表されたいすゞPIAZZAを見て狂喜した人は少なくなかったが、その喜んだ人達の多くは、フロントにそびえ立つフェンダーミラーを見て「嗚呼、こんなに嬉しいのにどうしてこんなに残念なのだろうか」と呟いたと言われている。しかし今となっては二年程しか作られなかったフェンダーミラー車の方が希少であり、その上フェンダーミラー車用の社外ドラミラー(注:正式にはウインドミラー)なんぞを見つけてしまった暁には、逆に「なんでドアミラーがついているのがこんなに残念なのだろうか」と嘆く人もいるらしい。

普通運転免許だけでは運転できない車

一般的に乗用車に乗るために必要とされる資格は普通運転免許だけであるが、PIAZZA、その中でも最高峰のXEを運転するためにはそれだけでは不足だ。PIAZZAはそんなに簡単に誰でも乗れる車ではないのだ。

XEにのみ装備されたマルチドライブモニタ(通称ドラコン)は燃費、ストップウォッチ、日付等、極めてどうでもいいものばかりを表示するものであるが、これもたまには壊れる。そのために自己診断機能が用意されているのだが、その情報は全てモールス信号により提供される。そのため、XEに乗るものは全てアマチュア無線技師三級資格を持つ必要があるのである。電話級程度では駄目なのだ。

徹底した未来志向が貫かれたPIAZZAは、ダイアグノーシスもやはり未来志向なのだ。

トラックメーカーの意地

PIAZZAの特徴の一つとして、特に4ZC1-Tにおいて顕著なものであるが、やたらとトルクに振ったエンジン特性が挙げられる。高回転まで回す必要性をまるで感じさせないこのエンジンは、高級車らしいゆったりとした運転を可能にしており、面倒な時は2速、4速を使用しないで1~3~5、または2~4というタクシー的な変速でも余裕でこなしてしまうほどの実力を持つ。そして、車が少しでも動いていれば2速発進さえも可能なまでのトルク感に満ち溢れたエンジンを体感すると、いすゞのトラックメーカーとしての低速トルクへの拘りが感じずにはいられなくなり、思わずそのまま4速に入れてしまうオーナーは思いのほか多いらしい。

このように、高回転側はいくら回しても五月蝿いだけでまるでパワーの伸びが感じられず、実質4千回転以下しか意味を為さないというディーゼルエンジンのようなエンジン特性を与えられた4ZC1-Tは、ターボエンジンらしからぬ燃費の良さとも相まって、結果としてオーナーのいすゞ度を高めることに見事に成功した素晴らしいエンジンだと言えよう。

フルオプションで先祖帰り

いすゞのフラッグシップたるPIAZZAはその車格、価格故に購入するにはそれなりの金銭、そして清水の舞台から飛び降りる勢いが要求され、それでも買うほどのチャレンジ精神の持ち主の中には、勢い余って購入時に思わず一言「フルオプションで。」とオーダーしてしまう人も存在したようだ。

PIAZZAには多種多彩なオプションパーツが用意されていたが、82.5型で基本的に役割を終えたフェンダーミラーも実はその一つであった。その為、フルオプションというオーダーを忠実に実行したいすゞは、ドアバイザーやドアノブプロテクターに留まらず、このフェンダーミラーもきちんとIrmscherに取り付けたのである。

デザイナーからの要求だけでなく、ユーザーの要求も忠実に果たすいすゞの姿勢、そしていすゞらしい一品生産への拘り方、さらにはスポーティなIrmscherに初期型JR130のテイストが加えられたこの車の姿に、オーナーが涙した事は想像に難くない。

ドアを閉めれば窓が開く

PIAZZAのパワーウインドウがしばしば壊れるのは有名な話であるが、同じく窓にまつわる故障として、どういうわけかガラスがレールから外れて全く動かなくなるという症状もそれなりに知られた話である。その原因の一つとしては、パワーウインドウが壊れた時、強引にガラスを引っ張り出したことによってレールが歪み(特にレールの支点が無い中央部分。窓を半分くらい開けた辺り)、結果として窓が半開きの状態だとガラスが外れやすくなるという説がある。特にこの症状が発生しやすいのが、窓を半開きの状態でドアを強い勢いで閉めた時で、さあ出発だとばかりにドアを閉めた瞬間に窓ガラスが落っこちてしまうため、いつまで経っても出発できないという困った事態になってしまうのである。