save the piazza! ---- diary

1999/9/18 何と。XESになってしまった。

8月になっても、俺はひたすら部屋の中で錆を取っていた。手を動かしすぎて右腕だけが太くなってくるというのも妙なもんだなあ。これじゃあまるでテニス野郎みたいだ。これはこれで良いトレーニングになるんだ、なんて言いながらワイヤーブラシを持った右手の反復運動に励んでいた時、俺の元に一本のメールが入った。

部品取りのXESがあります。

握っていたワイヤーブラシを放り出して色めき立つ俺。何ということだ、イーグルの奥に埋もれているXESの他に、まだXESが日本に残っていたとは。どうもこの方は俺のこの愚ページを見てくれて、ふむ、助けてしんぜよう、と思ってくれたらしい。嗚呼、錆だけじゃなくて寝る時間までも削った揚げ句、寝坊して会社に毎日遅刻するくらい頑張って書いた努力がこんな形で報われるとは。これは黙っちゃいられない。早速メールの主に返事を書いて色々聞いてみると、こんなことが判った。

デジパネがある!
サテライトもある!!
本革のシートもある!!!
本革内装も生きている!!!!
本革ステアリングもある!!!!!

とにもかくにも感嘆符ばかりが増えていく。これだけじゃなくて他にも色々あるらしい。でも、これだけあって何でまた部品取りなんだ? XESを部品取りにしてしまうなんて勿体無すぎるぞ、というわけで聞いてみると、どうもボデーがサビサビらしい。俺のXEの錆び具合もかなりなもんだと思うんだけど、まあ錆びの判断基準には個人差があるからそれは俺がどうこう言っても仕方がない。車体がダメなら残りは俺が生かしてやろうじゃないか。せめてXESという最高級バブリーグレードが存在したことだけでも身をもって示してやろうではないか。早速部品を譲っていただきたい旨を伝える。その方は和歌山在住だというのに、自ら取りに行くと宣言することも忘れない。こういうのは相手の手を煩わさせてはならないのだ。その後もメールで色々と話を詰めていって、和歌山行きは9月18日の土曜日と決定した。しかし、明らかに順調に進んでいたように見えるこの話に大きな問題があることに気付く。

そんなに沢山何処に積んで持って帰りゃいいんだ?

そりゃそうだ、前後シートに前後内装だぞ、普通に考えたら載るわけが無い。しかも大阪出身の知人がどうせ行くなら乗せていけ、なんて言うもんだから余計ややこしい。でも、レンタカーなんか借りる金があるわけも無いし、関西まで2回行くっていうのも大変だ。仕方がない、最後の必殺技、リヤ内装全とっぱらい攻撃に出ることにするしかない。リヤシートと内張りを外しておいて、そこに持ち帰る部品を取り付けてしまえば、それ以外のものを積むスペースが稼げる。JR120のリヤを妙に真剣に覗き込んで、このセコイ手段が可能かどうか考え込む。うーん、フロントシートとドア内張りねえ。入るような気もするけど、ダメかもしれないなあ。とりあえずそこにあるJR130から外して載せてみようか、なんて一瞬考えてはみたけど、メンドクサイのでそんなことはしない。まあしょうがない、いざとなれば現地で包装して送るしかないな。覚悟を決めて内装を外す。外した部品をJR130に突っ込んで準備は完了だ。リヤシートの座面だけはJR130入りきらなかったので部屋に持っていく。いつもながらこうやって部品を持っていく姿はとんでもなく怪しい。

さて、9月17日がやってきた。9月18日の10時に阪和道の海南東ICで待ち合わせという予定なので、普通に考えれば早めに行って何処かで仮眠するか、それとも午前2時頃にでも出れば間に合いそうなもんだけど、俺はあいにく貧乏であり、当然ながら貧乏人には馬鹿高い東名高速道路なんか使う資格が無いので一般道で行かねばならない宿命を背負っているため、前日の23時に家を出て徹夜で走り続け、不眠不休状態で作業に入る、という目茶苦茶な予定である。勿論途中で知人と運転を交代すれば多少は寝られるだろうけど、所詮は動いている車の中なので全然アテにならない。仕方がないので仕事をさっさと切り上げて、知人がうちに来るまでちょっとだけ仮眠する。普段は夜の8時に寝るなんてありえないので勿論寝つけないが、ここで酒を飲んでしまうと飲酒運転になってしまう。うーん、困った、なんて考えているうちに思わずテレビをつけてしまうと、テレビ神奈川では大洋の試合をやっている。やはり見ないわけにはいかないだろう、なんていう妙な使命感を感じた俺は、結局テレビで大洋戦を最後まで見てしまい、しまいにゃ自分の大洋ページまで更新してしまうという自殺行為をしてしまった。結局寝られたのは1時間にも満たない。そんなことをしている間に知人が来てしまう。あーあ、しょうがねえ、行きますか。

うちの近くのコンビニで珈琲、ガム、リゲイン、マルハのソーセージ5本組を買い込む。こういう長旅には、小腹が減った時のためのソーセージは必需品なのだ。大洋球団の延命にも貢献できて一石二鳥だ。俺は走行距離が300kmを越える時は必ず買っている。そんなことをしているうちに何だかんだで時間が過ぎてしまって、JR120の2分進んでいる時計は23時38分を指している。関西までの一般道の旅なんて勿論初めてだから、一体どのくらいかかるのかまるで見当がつかない。多少不安な気持ちで走り慣れたR134を突っ走る。しかし、リヤの内装が全く無いのでとんでもなく五月蝿い。路面に小石なんかあろうものならタイヤハウスにぶつかる音がダイレクトに聞こえてくるし、デフやシャフトのシャーッという音も耳障りだ。そのうちラジオの入りも悪くなって、車内には走行音と機械音ばかりが響く。西湘バイパス、箱根新道を抜けて、三島方面に向けてR1を下る。走り屋が沢山居て気分が悪い。やっと箱根の山を下り、沼津市内に入った辺りで助手席の知人は寝に入る。クソッ、ここから先は俺にとって未体験ゾーンだっていうのに、よりによってこんな時に寝やがって。それにしても、この五月蝿いのによくもまあ寝られるもんだと感心する。そして沼津を抜けた辺りから、R1は殆どバイパス状態になり、信号すら滅多に現れず、ほぼ高速道路状態になってくる。うん、これは良いぞ、下手に考えすぎてR150なんかで行くよりも、このままR1で行ってしまったほうが良いかもしれない。由比のあたりでは東名高速と平行して走っているが、殆ど速度が変わらない。ひたすら走って途中の道の駅で休憩する。おいおい、沼津からここまで信号に引っ掛かったのって2回くらいだぞ、これじゃ全然東名高速なんか要らないじゃないか。リゲインを飲んで気合いを入れて、さあ出発だ。

その後も限りなく順調に進む。藤枝バイパスだとか、磐田バイパスだとか、ナンタラバイパスはみんな22:00〜6:00まで無料だというのが良い。たかだか10kmも無いくせに、いっつも工事中で渋滞した揚げ句200円も没収する横浜新道も見習うべきだ。気持ちの良い浜名バイパスを抜け、豊橋市に入ったあたりでコンビニに入り、2回目の休憩をする。時計は3時半過ぎを示している。ソーセージを頬張りながら地図を広げて行程を考える。時間が無かったら岡崎あたりから東名高速というのも考えたけど、その必要も無さそうだ。暫くR1をそのまま行って、知立のあたりでR23に入って四日市方面に向かって名阪国道、というルートに決める。早速R1を直進する。ここまで殆ど信号に引っ掛からなかったのに、徐々に止まる回数が増えてきて苛立ってくる。そこでラジオを適当にスキャンしていると『歌うヘッドライト』にぶち当たる。かの有名ないすゞ自動車提供の番組だ。たまにはトラック野郎の気分でトラックメーカーの車を運転するというのもなかなか味わい深いものがある。合間にはエルフだとかフォワードだとかのCMが流れているというのに、この面白いCMを隣の知人は寝ているばかりでまるで聞いていないようだ。恐ろしく流れの速いR23を通り、四日市に入った辺りのコンビニで3度目の休憩。既に辺りは明るくなり始めている。時間はまだ6時前だ。何という速さだ、6時間でこんな所まで来てしまうなんて。別に俺はぶっ飛ばしたつもりなんかないぞ。でも、さすがに疲れたので知人と運転を交代する。ここから先は地元民の方が詳しいだろう。自分の車の助手席に座るというのも妙な気分だけど、やけに中日の記事ばっかりの日刊スポーツというのも妙なもんだ。大洋の記事なんかこれっぽっちも載ってないじゃねえか畜生め、俺は権藤の談話が読みたくて買ったんだぞ、なんて考えているうちに、いつの間にか寝てしまっていた。

ふと目が覚めると、もう名阪国道が終わって西名阪に入ろうというところまで来ていた。パーキングに停めたJR120から降り、景色を見ながら一服する。高台から見える景色はもう関西だ。そうか、遂に俺のJR120も関西まで来たか。いつかこの車で日本一周してやりたい、なんてふと思ったりする。一服を終えてまた出発し、西名阪を暫く走り、阪神高速代をケチるために藤井寺ICで一度降りる。時間は7時。有料道路を殆ど使わなかったというのに何ちゅう速さだ。この辺りの道は俺にはさっぱり判らないので、知人の家にアクセスしやすい駅の近くまで知人に運転を任せる。とりあえず南海電車の駅前に停める。勿論、俺はここが何処なのかさっぱり判らないので慎重に地図を確認する。何となく判ったところで知人は実家に向かう。俺は阪和道方面へと向かう。あーあ、まだ7時半か。いくら何でも早すぎた。眠くてしょうがないけど、変なところで仮眠なんかしようものなら寝過ごすことは間違いないので、早めに着いて待ち合わせ場所で寝ていることにする。

何とかして阪和道に入り、途中の岸和田SAで一休みする。身の回りの車は殆どが「和泉」「なにわ」「大阪」で、たまに「和歌山」が混じっている程度なので俺の「湘南」ナンバーのSurf Editionはとんでもなく浮いている。そもそも「大阪」なんてのが存在していることを初めて知ったぞ。こっちはみんな「なにわ」だとばっかり思っていたのに。そんな下らないことを考えながら、無料の茶を飲みながら人間ウォッチングをしていると、そこら中の女性はみんな芸人に見えてきてしまうのは何故だろうか。ちょっとケバかったり、色黒だったりするとみんなオセロに見えてくる。関西弁の笑い声というのはそう思わせる力があるような気がしてならない。あんまりにも馬鹿馬鹿しい結論が出たのでさっさと先に行くことにしたものの、やっぱり早すぎるので紀ノ川SAでまたもや停まる。小腹が空いたし、ソーセージも打ち止めになってしまったので関西風饂飩でも食うか、と思ったら、ここにはそういう店は無いので諦めてサンドイッチを食いながら木陰から紀ノ川を眺める。日なたに出ると猛烈に暑い。ラジオによると、よりによってこういう時に限って最高気温34°なんて言っている。雨が降るよりはマシだけど、徹夜明けにこの温度はキツイ。

エアコンを効かせて海南東ICを目指す。エアコンを直しておいて助かった。直す前は航続距離が100kmを越えた途端に熱風が出てきたもんなあ。涼しい空間の中で煙草を吸いながら快適に進んでいると、すぐに海南東ICに着いてしまう。まだ9時半だ。料金所を出て、空き地を探して仮眠するか、なんて思っていたら、何と既に目の前にカフェオレのJR130 XLが居るではないか。このXLのオーナーがXESの持ち主でもあるS氏である。いやー、どうもどうも、なんて言いながらヨロヨロと車を出る。着いた途端に安心してしまって足下がおぼつかなくなっているようだ。こりゃマズイ、先がもたんぞ。そう思った俺は、予定ではISUZU MLのN氏とT氏も来ることになっているのと、集合時間までまだ30分ほどあるのをいいことに、ちょっと仮眠させてもらうことにする。すぐ先の居酒屋の駐車場らしきところに車を停め、日除けと称して段ボールをフロントワイパーに挟み込み、ハッチゲートやらドアやらを全て全開にした上で、助手席のレカロシートをこれでもかと傾けて寝転がる。こんな状況でもすぐに寝られるのは、日頃から貧乏旅行ばかりしていて、車中泊なんか朝飯前になった俺の努力の賜物であるが、無防備な俺に襲ってくる蚊の攻撃だけは防ぎようが無い。しかし、折角寝たと思ったところに携帯が鳴って起こされる。どうやらN氏が着いたようだ。続いて10時丁度にT氏も到着。またもや、いやーどうもどうも、である。初対面なのに初対面っぽくないMLメンバーとの出会いはいつもこんなもんだ。ここに停めていると邪魔なので、早速S氏を先頭にXESのところに向かう。

そしてXESの置いてあるS氏の実家に到着。おぉ〜、確かに本革内装だ〜。車体は、と言えば、ボンネットやら給油口、そしてバンパーと、定番とも言える場所が錆びているけど、まあ俺にしてみればそれほど酷いようにも見えない。なんか勿体無いなあ、とも思うけど、仕方がない。暫くXESを眺めて、作業に入る前にS氏宅でちょっと休憩。その後作業に移ったものの、既に内装は半分以上外してあるのでなんてことはない。まずリヤ内装とリヤシートを俺のJR120に取り付けて、平らに寝かせたフロントシートとドア内装を間に段ボールを挟みながら載せる。気温が高いので車内での作業は大変なこと極まりない。その後デジパネ関係を外したりして、2時間ほどで作業は終了。何とか全部載ったようだ。本当は天井も頂きたかったんだけど、どうみたって載るわけが無いので、これは今回は諦めるしかない。車検が取れたらまた頂きに来よう。

その後S氏宅で昼食を御馳走になり、T氏と共にオートハウスハルキに行ったり、宿泊する知人宅に行った後に突如お上りさんモードになってなんばに繰り出したりしてしまったせいで、結局その日のうちに床につくことが出来ず、自宅でのたった1時間の仮眠から目覚めてから26時間後となる9月19日の0時過ぎにやっと寝た。大体、その26時間前だって寝たうちに入らないんだから、その前に起きた午前8時から数えると約40時間ぶりのまともな睡眠になる。隣に居た知人は俺のいびきのせいでろくに寝つけなかったらしい。奴はその分車内でガーガー寝ていたからまあ良いだろう。翌日も元会社の同僚の家に行ったり、N氏の店にJRが7台集まったりして色々やった揚げ句、結局帰途についたのは18時過ぎで、使う気なんか全然無かった名神高速と東名高速を使う羽目になってしまった。それでも家に着いたのは日が回った午前2時だ。いくら交通費をケチりたいからってこの行程はいくらなんでも無謀すぎたようだ。そんな時間に、さらに辻堂から新丸子までの約40kmを単車で帰らなければならない知人にとって、俺のケチり具合が何とも腹立たしかったにちがいない。こんな状況では、持ってきた内装を部屋に持ってくる体力も気力も勿論ゼロで、翌日は内装山積みのままで会社に行く羽目になってしまった。よく遅刻しなかったもんだと我ながら感心する。

まるで仕事にならないままに一日を過ごして、山のような荷物を自分の部屋に持ってくる。部屋に置こうにも、これだけ沢山あるとさすがに置き場に困る。あーあー、こんなに沢山何処に置くんだよ、という言葉が口に出そうになるのをグッと抑えて、大家の爺ちゃんにバレないようにこっそりと運ぶ。とりあえず床に置いてある座椅子だとかテーブルだとかを端っこに寄せて部品をガンガン置いていく。5往復くらいしてやっと終わる。とんでもなく疲労がたまった身体にとって、マンションの3階まで何往復もするという行為はこれ以降の作業のやる気を無くすのに十分だ。

和歌山では積み込むことばっかり考えていて、部品自体をろくにチェックしていなかったので、何となくあれやこれやと確認し始める。基本的には革の程度は良好だ。S氏によれば、一度座面を補修したそうだけど、よく見ると確かに糸の色が違う。まあ20年近く前の製品なんだからこれは仕方がない。自分で直さなくて済んだだけでも100倍マシだ。そんなことより、わざわざ直したものを売ってくれたS氏に感謝しなくちゃいけない。ただ、シートの下のプラスチック部品が割れて無くなっている。これはしょうがないから、今のXEのやつを移植するしか無いだろうなあ。リヤシートは極めて程度が良い。これならちょっと掃除すれば十分だ。いやいやいや、良いものを手に入れたなあ。

なんて思ったのも束の間、トリムを見て唖然とする。否、勿論最初に見たときに気付いていたんだけど、改めて落ち着いて見てみてもやっぱり唖然としてしまう。うーん、何で前と後ろでトリムの下半分が全然違うんだ?? XESだったら、初期のベロンベロンにめくれてしまうインチキステッチ部品がついている筈なのに、何故か前だけが83型以降の硬いやつになっている。しかも色まで全然違うじゃないか。その割には革だけは質感も色もヤレ具合も全く一緒だ。この部品はリベット留めだから、そうそう換えるわけにはいかない筈だよなあ。そりゃ確かに硬い部品になる直前の過渡的な年式の車だけど、いくらなんでもまだ出ていない車の部品を使うなんていうのはちょっと考えにくい。しかもS氏に聞いても、最初からこうだったと言うではないか。もしかして前々オーナーはめくれた部品を見ているうちに腹立たしくなって強引に替えたのか? しかし、いくら見てみても強引に外したような痕跡は全然無い。うーん、謎だ。

何はともあれ、貴重なXESの部品を手に入れてしまった。うーん、そんな金と暇があるんだったら、さっさと部品買ってきて錆取りでもした方がいいんじゃねえのか? なんて思ったりする。こういうのはとりあえず手に入れておかないと後で絶対後悔するから万難を排して買ってしまった方が良いのだ、なんてことを座椅子と化したXESのシートに座りながら自分に言い聞かせてはみたものの、今回かかった費用を考えてしまうと、バファリンをがぶ飲みしたいほど頭が痛いのもまた事実。まあ良い、コレばっかりは、いくら金があっても、コネなり運なり何なりが無いと手に入らないのだ。運だけで手に入れられた俺は幸せもんだ。こうして、いつの間にやらPIAZZA史上最高級グレードモドキになれるかもしれない可能性が出てきたJR130にとってあと1つだけ不足しているのは、82.5型のカタログでXESの本革シートに座っているキレイなネエチャンだけになったのであった。

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