こわごわディーラー訪問

エンジンだかミッションだかのあたりから聞こえてくるカタカタコトコト音が気になってしょうがないので、意を決してK1100RSをBMWディーラーに持っていくことにした。

クルマにしろバイクにしろ、中古でしか買ったことがない(そして今後も中古しか買わない気がする)俺としては、ディーラーという場所は非常に敷居が高い。

前に乗っていたK100RS(2V)は、一応ディーラーで買ったことにはなるのだが、当時の丸富オートはそれほどディーラー然としていたわけではなく、単純に常連(しかも中高年ばっかり)が多くて一見さんが入りづらいバイク屋でしかなかった。それはそれで敷居が高いが、ディーラーのそれとはまた別物のような気がする。

現在のBMWディーラーは、どこのディーラーでも白いガラス張りの小綺麗な建物で、およそバイク屋らしい雰囲気がない。バイク屋なんて呼んだら怒られそうだ。以前はそんな雰囲気ではなかったのに、いつ頃からApple Storeみたいに無理矢理なイメージ統一を図るようになったのだろうか。

しかしながら、BMWをきちんと見てもらおうと思ったら、その入りづらいBMWディーラーに持っていくしかない。幸いなことに、神奈川県にはBMWディーラーは複数あり、うちから最も近いディーラーは平塚にある。

諸事情によって無意味に有休になった金曜日。渋々ながら、そのディーラーでそのような修理(その前に、まずは診断)が可能かどうか、電話で確認してみる。K1100RSなんていう古いバイクを診てくれるのかどうか若干不安だったが、とりあえず持ってこいと言ってくれた。早速そのディーラーに向かう。

相変わらず微妙な音をたてているK1100RSに乗ってディーラーに向かう。30分ほどで到着し、駐車場に停める。このディーラーはR129沿いにあるのだが、駐車場はR129沿いではなく、建物の裏側にある。R129にはショールームが見えるように作られている。こういう商売っ気丸出しなところがいかにも最近のディーラーっぽい(まあ実際商売なんだからそれが当然で、否定するつもりはない)。

およそバイク屋らしからぬ建物に入る。声をかけてくれたセールスの店員に、先ほどK1100RSの件で電話した者である旨を伝える。バイクの前に戻ると、メカニックのオッサン(BMWディーラー的に言えば「マイスター」なのか?)が出てきた。ようやくバイク屋らしい雰囲気になる。

まずはセンタースタンドを立てる。リヤサスをショートにしてあるので、若いメカニックに助っ人を頼んで二人がかりで立てる。エンジンをかける以前に、リヤブレーキパッドの引きずりを指摘されてしまった。そしていよいよエンジンをかけてみたが、メカニックのオッサンからすれば、俺にとっては気になってしょうがない異音は、あまり気にならない程度の、どうでもいい音のようだ。

念のため、メカニックのオッサンが試乗して確認することになった。その間、ショールームをブラブラして待つ。さっきの若い営業のニイチャンが名刺を差し出してくる。こういうところがディーラー的だ。今までバイク屋で名刺なんかもらったことない(買ったとき以外は)。

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ショールームには現行のBMWモーターサイクルの新車が数台展示されており、中古車は無い。こういう機会でもないと、現行車をまじまじと見たり、触ったりすることもないので、折角なので各車両を見て回る。

S1000RR、K1300Sあたりに顕著なのだが、1993年製のK1100RSに乗っている俺にとって、現行車は「薄っぺらいバイクだなー」という感じがしてしかたがない。K1100RSは、色々な部品が無駄に分厚かったり、またはそう見えるように作られている気がする。カウルの縁やステップ周りあたりに、それはよく現れている。エンジンやミッションも、必要以上にゴツゴツしている。現行車は、そういうところがいちいち薄っぺらい。このような視覚的な薄っぺらさが、存在自体も軽薄なものにしているように感じられる。そりゃ性能面やコストパフォーマンスを追求すれば、当然の結果としてそうなるのかもしれないが、BMWっていうのはそういうバイクじゃないだろう。世の中の流れとは一線を画したメーカーじゃなかったのか。

大排気量バイクの絶対性能は、1990年の時点で、既に一般人が操りきれない領域に入っていたと思う。絶対性能ではない、体感性能や、乗ることによって得られる結果(航続距離であったり、疲労度であったり)に対する付加価値を追求していたのがBMWだと思っていたのだが、現行車にはそんな雰囲気は感じられない。

F800あたりは、現代的な軽薄さと車格がうまくマッチしていて悪くない気がするが、1000とか1300になると、こちらがなんとなく持っているBMWや車格への期待感と、それに対するメーカー側の回答がズレてしまっていて、なんだかもう俺には関係ないバイクになってしまった、という感じしかない。

「RS」が無くなった時点で、メーカー側がそういうものを捨てることを決めたのかもしれない。しかし、まだ残っている「RT」でも、あんまりそういう期待に応えられている感じがしない。

そういう「なんだかなあ」感は、置いてあった「立ちゴケ保証」のパンフレットを見ているうちに、より高まってしまう。なんだかなあ、ほんとに。

2 過保護の極み

しかし、俺が勝手に思っているこういう「なんだかなあ」も、売っている側や世間一般からすれば、それこそ旧世代人の戯言でしかないのだろう。メーカーや世の中が変わってしまったのか、それとも自分が変わらなすぎなのか。それらが再びマッチする時は来るのか。来ないなら、どうしていけばいいのか。まあ、お互い好きなようにすればいいだけなのだろう。相手に過剰な期待をしなければいいだけだ。

どうでもいいことを考えている間に、メカニックのオッサンが戻ってきた。その診断結果は、一言でいえば「気にするな」であった。確かに止まっている時はそういう音も聞こえるが、走れば消えるし、この程度の音はどのバイクでもする。消そうとする努力はできるかもしれないが、いくらかかるかわからないし、消える保証もない。だからこういうものだと思って乗れ。そういう結果だった。そんなことよりリヤブレーキパッドをどうにかしろと。

「○○が駄目なので△△を一式交換して、部品代と工賃で◎◎万円ぐらいかかりそう」なんていう結果を想像していた俺には拍子抜けだったが、ある意味最も嬉しい結果である。ここで問題は、この診断に要した作業(というか試乗)にいくら払うかなのだが、全く請求されなかった。何もしていないのだから払わなくて当然なのかもしれないが、医者に行って「ほっときゃ治る」という結果でも金は払うのだ。費用を払うことはやぶさかではなかったのだが、タダでいいならそれで良しとする。

気になることには変わりはないが、一応プロのお墨付きを得たことで、気分良く自宅に戻る。何となくカタカタコトコト音が小さくなった気がした。