ピアッツァ40周年記念ミーティング

いすゞピアッツァが発表(1981/5/13)・発売(1981/6/6)されてから40年。それを記念してミーティングが開催された。

場所は箱根 芦ノ湖スカイラインのレストハウスフジビュー。5月下旬ならおそらく寒くもなく、景色もよく、そして店側がこの手のクルマ・バイクのミーティングに協力的ということで、基本スペック的には絶好のミーティング日和・ミーティングスポット…なのだが、残念ながらこちらのクルマはエンジンの3番シリンダー近辺に何らかの異常を抱えており、県内最高標高地点付近まで駆け上るのは大変な緊張を伴う。

予行演習と称して5月上旬に標高400mの丹沢湖まで遠征(原チャリでも行ける程度の距離であり、どこが遠征なんだよっていう感じなんだが、クルマの状況的に遠征感があふれるんですよコレが)した際は特に何も発生することなく無事帰宅できたので、今回もそれを期待するしかない。

往路

各種のカメラおよび補機類、ジャンケン大会に供出する景品等を積み込んだピアッツァは朝7時過ぎ、予定より15分遅れで自宅を出発した。自宅近くのセブンイレブンで軽食用の菓子パンとガムを買い込み、R134を西進する。朝早めの割には交通量が多いが、辛うじて詰まることなくそこそこ流れている。鎌倉高校前あたりで唯一のダラダラ状態になるが、その後もなんとか渋滞にはならず進む。

いつもの柳島のGSで給油。今回の燃費は6.9km/L。丹沢湖遠征が混じっていたので良い部類に入る。

その後も淡々と西進。西湘バイパスが工事通行止めなので大磯西ICで降り、大磯ICから小田原厚木道路に乗る。ちょっと前に横浜横須賀道路をごく普通のペースで走っていたら水漏れしたので、今回は回転上昇を控えめにして、迷惑にならない程度に遅めに走る。水温計やクーラント臭、エンジン鼓動感に留意し続けなければならないため、短距離の割には心が疲れる。

小田原西で西湘バイパスに合流し、箱根新道へ。ここが今回最大の鬼門である。延々と高度を上げ、且つほとんど休憩所がないこの道路は、エンジン自体にも水回りにも不安を抱えるこのピアッツァには荷が重い。箱根ターンパイクの方が休憩所や斜度の観点では少しだけマシだとは思われるが、困ったことに工事の関係でターンパイクへは非常に行きづらく、出遅れたせいで時間の余裕もないので、そのまま箱根新道に直進する。

走行感は、元々予期していた不安そのまんまで、斜度に対してエンジンが追いついていない。ズボボボという音を出しながら力なく登る。斜度自体は自宅近辺の坂と大差ないのだが、いつもの坂は70mほど登れば終わってしまうのに対し、こちらは1000m近く登らなければならない。数十秒なら突っ切ってしまうところだが、分単位で続くと不安感の高まりが酷い。とりあえず須雲川ICを過ぎた駐車帯(よくここで警察が移動オービスでスピード違反調査をしているが、とても違反できるほどのスピードは出せない)に入り、エンジンを止めて小休止する。

ここから先は、一時停止できるような場所は全くない。登坂車線が2〜3回現れる程度だ。なんとしてもこのまま登りきらなければならない。後続車に突付かれると心理的によろしくないので、極力後ろから誰も来なさそうなタイミング(って何なのかと言われるとわからないが)で出発する。なるべく速度を落とさないように丁寧にコーナリングしながら七曲りを登り、その後のK1100RSだったらかっ飛んで行くであろうハイスピードコーナーも登坂車線側を淡々と登る。出発したタイミングが絶妙だったのか、結局全く後続車に追いつかれることなく登りきり、R1に合流。すぐに右折して芦ノ湖スカイラインに入り、料金所で通行料800円を支払う。

この道を走るのは約20年ぶりになる。JR130ピアッツァを復活させて1年ぐらい、2001年12月14日にSANYOのデジカメで撮った画像が残っている。カメラ性能、写真技術ともに酷いもので、見ていられないような画像だ。

ここまで超久しぶりになる理由としては、単純に通行料金が高い、近すぎて逆に敬遠してしまう、渋滞回避のために仕方なく使うといった実用性がない等があるが、まあ結局の所値段だ。無料だとか200円とかだったらもっと使うだろう。

そんな芦ノ湖スカイラインだったが、先行者から得ていた情報通り、入った瞬間から霧だらけ。酷いところになると視界が50mぐらいしかない。路肩に停めて写真を取るなどもってのほかだ。イベントでなければ800円をドブに捨てるようなものだから絶対に入らないだろう。結局全く景色は見えず、視界50mのまま、目的地のレストハウスフジビューに到着した。

ミーティング

9:18に到着してピアッツァから降りる。寒い。さっさとウルトラライトダウンジャケットを着込む。

開始時間は10:00。42分も早く着いたのだが、既に5台ほど先着車がいた。しかし所有者はいない。あまりにも寒いのでレストハウスに入って暖を取っているようだ。天気予報的には暑くなる予報だったとしても、ここ芦ノ湖スカイラインは標高約1,000m。バイク乗りなら100m上がれば1度下がることを常に意識して装備を考慮するものだが、クルマしか乗らない人はこのあたりの意識が薄い。まあバイク乗りも何度か痛い目に遭って服装の重要性を痛感してから意識するもので、一般的にはそんなことは考えないのが普通だろう。低い気温を想定してカッパとウルトラライトダウンジャケットを用意していたので自分は全く問題ない。

天候は改善する兆しがなく、風もかなり強いため、中華アクションカメラを高いところに固定してタイムラプス撮影するとか、iPhoneをジンバル+三脚で固定しておいて入場車両を撮影するとか、発表時のポスターパネルを飾るとか、仕込もうと思っていた幾つかのネタは諦める。

視界が悪い中、少しずつピアッツァは集まり、開始時間となったため開始宣言がなされる。とは言っても基本的に横浜オフの延長、ただダベるだけで特別な何をすることもなく時間は過ぎる。とは言え一応40周年と銘打っているだけに、普段都筑PAには来ない人もそこそこ訪れており、久々の再会や初対面を楽しむ。11:00頃からは、陽は出ていないものの霧は一応晴れて、少なくとも髪が濡れるといったことはなくなる。

昼飯はレストハウスフジビューでオムカレー。2日前にポークカレーを作って2日連続晩飯カレーだったのだが、こういうところでは何故かカレーを食いたくなるし、そもそもご飯物はカレーしか選択肢がなく、否応なくカレーとなる。その中でもカレーっぽさが少ないオムカレーを選択。

昼飯を食って暫くするとようやく晴れ間が出るようになるが、風が強いのは相変わらず。むしろ強くなったように感じられる。

なんだかんだで時間は経過し、ジャンケン大会、記念撮影等の予定していたイベントを無事に終えて、40周年記念ミーティングは終了となった。

自分が供出した景品(ジウジアーロデザインのライター)を自分がゲットしてしまったのはご愛嬌。当然ながら再度ジャンケン大会を実施して放出した。元々喫煙者時代の貰い物なので、誰かに使ってもらったほうが良い。

ミーティングの模様はこちら。DJIのOSMO Mobile 3で動画撮影していたのだが、風が強すぎてブレブレだ。さすがのDJIにも強風には敵わない。

復路

終了宣言後も適当にクルマの配置を変えて即席撮影会が行われる等、終わった感がない状態が続いていたが、それでも1台、また1台と徐々に減る。夜中の帰宅を決め込むのであればどこかで温泉にでも寄ってダラダラ帰るのだがそうもいかない。半分以上のピアッツァが去り、空いた場所に一般車が停めるようになった頃、自分もレストハウスフジビューを後にした。

こんなところまで来ておいて、往路をそのまんま帰るのは面白くないし主義に反する。ここから北上し、霧が晴れた芦ノ湖スカイラインを楽しむ…と言いたいところだがエンジンは相変わらず不調であり、とても楽しむレベルではない。それでも眺望や道の線形自体は非常に良く、さすがは800円を支払って楽しむエンターテインメント道路だと感心する。

もはや記憶が曖昧だが、以前も停めたであろう場所にふたたび停めてしばし撮影を楽しむ。

交通量は少なく、撮影している間に通り過ぎた車は片手未満。とはいえ貴重な撮影場所なので、あまり長居せず先に進む。撮影スポットを長時間独占することは許されない。

もう少し広い休憩エリアが現れたが、広い分だけ人も多い。一応富士山が見えるのだが、空気の澄み具合が芳しくないためあまり良く見えない。一応富士山バックで撮影はしてみたが、やはりうっすらとしか写らない上に逆光。諦めて適当に何枚か撮って終わりにする。

撮影を終えて芦ノ湖スカイラインに戻る。途中でスバルのXVがかなりの事故を起こしてレッカーで運ばれようとしていたのを見て気を引き締める。それほど走らずに芦ノ湖スカイラインは終わってしまい、直進すると箱根スカイライン、左折すればクネクネ県道を通って裾野へ、という交差点に出る。

ここの駐車スペースは相変わらず土と砂利で、重量級オンロードバイク泣かせなままだった。時間の余裕があれば直進または左折なのだが、そうもいかず右折して湖尻方面に向かう。淡々と下り、一般観光客が使う県道75号に合流。ここから先は本当に帰るだけの道程になる。

R138、R1をひたすら下り、箱根湯本駅周辺の渋滞を過ぎて暫く走ると、西湘バイパスの工事に影響されたであろう渋滞が始まる。しばらく我慢していたが耐えきれなくなり小田原厚木道路に乗ってしまった。一応迂回路として設定されているルート(小田原東で降り、国府津から西湘バイパスに乗る)を走り、橘のPAで少しだけ仮眠を取る。工事の影響もあるのか、西湘バイパスも、その後のR134も空いている。

普段の晩飯の時間はとっくに過ぎているので、帰宅途中に晩飯を食う。ソロ活動の締めの晩飯はラーメンと決まっている。丁度通り道だったので、辻堂在住時に最も多く食ったであろう駅前の「樹」に寄る。前に食ったのは数年前、名古屋出張の帰りにわざわざ小田原経由の切符にして途中下車して食った記憶がある。エクスプレス予約を使っていない頃の話なので、相当前のことだ。それ以来の「樹」は、概ね記憶の中にあるものとほぼ変わらないものだった。壁にある隣の寿司屋云々の張り紙や手書きのメニューも以前のままだ。唯一異なるのは、テーブルの両端に山積みになっていた雑誌がなくなっていることだ。スマートフォン時代になり需要がなくなったのだろう。

一時期ほうれん草ではなくサヤエンドウになっていた気もするが、細かいことはどうでも良い。コレだよコレ、コレでいいんですよ。ウンチクや謳い文句なんて要らん。普通の値段で、普通に美味いラーメンが適度な量で出てきたらそれでいいんですよ。以前と変わらぬ手順で600円を支払い、大いに満足して店を出た。いま住んでいるあたりにはコレといったラーメン屋がないので、結局「古久家」と「樹」が、自分の中では「死ぬ前に食いたいラーメン」のツートップを占めたままになっている。これらを上回るラーメン屋が現れることを期待したいが、この2店を超えるのは簡単ではないだろう。

久々の「樹」に若干の興奮を抑えられないので、少しだけ辻堂南口付近を散歩してから駐車場に戻る。駅前の居酒屋ビルはほぼがらんどうになり、スーパーもパチンコ屋もドラッグストアになり、大好きだった鳥一番は真っ暗。自分が辻堂を離れてからだいぶ変わったが、ここ1年でさらに変わった。変わらないのは、ピアッツァを停めたコインパーキングに放置されている古いマツダMPVぐらいか。ああ、あちこちで若者が座ってダベっているのも変わらないな。こういうのは逗子葉山ではなかなか見られない。どちらが良いのかはなんとも言えない。

同じく辻堂在住時にさんざん行った富士見町のクリエイトで食パンと牛乳を買う。店内レイアウトが以前とは変わっていたことに面食らってしまった。駅前の変わりっぷりも含め、もうこのあたりの住民ではないことを痛感する。若干の寂しさを感じつつR134を東進する。ラーメンを食っていたため時間が遅くなったことで渋滞もなくなり、ほぼ詰まることもなく帰宅した。

エンジン自体の不調、冷却水漏れの2点をはじめとして、色々と不安が残る状態で箱根に向かったが、とりあえず何事もなく帰宅することができた。しかし標高1000m地点でのエンジンのバラツキっぷりはいくらなんでも異常だ。さすがに我慢ならないので、エンジン屋さんに修理依頼することを真剣に考えざるを得ない。