2代目まで買ってしまったPENTAX KPは勿論気に入っている。そう、気に入っているのだが、だが…
PENTAXにはK-1という最高峰がある。
出たばっかりの頃に藤沢のビックカメラでいじくり回してみて、なんかすげーなーとは思ったが、特に欲しいと思うこともなく、その時はそれでおしまい。基本的には縁がないものと位置づけていて、たまにカメラ屋に寄っても触ることはほとんどなかった。一度か二度ぐらいは試したかもしれないが記憶にない。
久々の再会
自分の中ではその程度の存在だったのだが、先日ピアッツァを修理に出した帰り、横浜のヨドバシカメラで新製品のK-3 MarkIIIを試してみた際、久しぶりにK-1(MarkIIだが同じようなものだ)に触ったところ、これまでとは少し違った感覚を覚えた。
特に何かを買う予定は無いが、電車帰宅の途中で横浜のヨドバシに寄り、今時のカメラやマウス、キーボード、Mac等の現物確認をした。ちょっと店員さんの人数多過ぎませんかね。そして一年半の間に横浜駅西口は随分様変わりしていた。もはや完全におのぼりさん状態。
— m.sota (@msota_RS) July 10, 2021
K-3 MarkIIIの噂通りのAF速度と視界の広さに驚愕した後に手にしたK-1 MarkIIは、それほど重くもなく、AF速度もさほど引けを取らないように感じられた。世に出てから5年も立つのに陳腐化が感じられないのは、他社のミラーレスカメラのEVFに違和感が先立ってしまい、覗く以上のことを試す気にならずすぐに戻してしまうこととも無関係ではなかろう。時流に取り残されたPENTAX一眼レフばかり触っているのだから陳腐化もクソもない。
K-3 MarkIIIは個人的にはさほど必要がないところばかり尖っているため、自分には豚に真珠的なモノなのだが、K-1はそこまで筋違いなモノではない。なんと言ってもPENTAXのフラッグシップである。そして、どういうわけかフルサイズ対応レンズも単焦点ばかりだがそれなりに持っている。ずっと頭の隅に引っかかる程度の存在だったが、それをなんとなく触ってみたら、なんだか行けそうな気がしてきた。何が行けそうなのかはよくわからない。
逡巡
そのK-1が世に出てたのは5年前。フラッグシップとは言え、昨今のハイエンドミラーレスカメラみたいに70万だの80万だのというとんでもない価格ではなく、出た当時でも20万円台。今や中古で10万円台前半で買える。中古品の10万円という値段が安いかどうかで言えば勿論安くないが、(ほぼ)現行品のフルサイズデジタル一眼レフとしては安い。
しかしK-1はレンズも含めてデカ重であることは紛れもない事実で、家族旅行や普段の外出等に持っていく気にはならない。事実上、クルマ、バイク撮影専用となる。年に数回、とまでは言わないが、それほど多くない撮影機会のためにそこまで投資するのか。否、少ないからこそ最高の機材を用意すべきではないのか。FA Limitedレンズはコンプリートしているのだからあとはボディだけじゃないか。
普通に考えれば前者となり、手を出さずに終わる。それがこれまでの話。
クルマ、バイク撮影とセンサーサイズ
そもそも論になるが、クルマやバイクの撮影と、APS-Cセンサーのカメラは、あまり相性がよろしくないと漠然と感じていた。撮影時に前後をボケさせようとすると、焦点距離50mm以上のレンズを使いたいのだが、そのためにはAPS-Cセンサーのカメラでは対象物から相当離れなければならず、撮影機会がかなり限られる。バイクはまだどうにかなるがクルマはかなり苦しい。
出先で十分な距離感を保てるかは運次第で、どちらかというと保てないことのほうが多い。これは過去何度も体験してきたことで、どうにも避けられない話だ。
フルサイズのK-1なら、比較的自然な距離感の状態で50mm前後のレンズが使える。もっとボケさせたければFA 77mm Limitedも使える。APS-CのKPでクルマを撮影する際にFA 77mmを使うことなどあり得なかったのだが、K-1ならちょっと頑張れば使える。
絞ってシャキッと撮るならあまり関係ない話だし、そんなにボケさせなくてもいいじゃないか、というのもまた事実ではあるのだが、選択肢は多いに越したことはない。
好機到来
こんな感じで急にK-1が気になりはじめてから中古カメラ屋さんのK-1在庫を見て回っていた。
実は、K-1 MarkIIが出てしばらくした頃、無印K-1はバッタ屋の店頭在庫が13万円台で暫く買える状態が続いていたのだが、その頃は全く買う気がなかった。今となっては後の祭りである。
K-1とK-1 MarkIIの違いは勿論把握しており、自分的にはMarkIIであることに価値を感じないので無印K-1で十分。それでも良品で12.5万円程度で、例の新品底値の13万円台と大差無いためあまり購入意欲は沸かなかった。
ちょくちょくウォッチしていると、よく使う中古カメラ屋さんはかなりの頻度で価格を変えていることに気づく。普段は良品が12万円台なのに、たまに来るナントカセール等の際は10万円台に下がる。全商品がそうなるのではなく、同じランク(美品、良品、並品)の中の数点だけが安くなる。思わず買いそうになってしまったがそこまでの覚悟はまだない。踏ん切りがつかないうちにすぐ価格は元に戻る。好機はそれほど長くは続かない。
そんなことをしているうちに、またしても値下がりの時期がやってきた。良品のうちいくつかの個体が108,000円となった。BEST CHOICE品(その基準はよくわからない)も含まれている。
ただ、コレには罠があることがあり、安い代わりに付属品(箱だとかCD-ROMだとか)が大幅に欠けていることがある。過去にUSBケーブル以外に何も付属していない初代APS-C GRをそうして買ってしまったのだ。しかし、今回安くなったBEST CHOICE品には全くそういう欠点がない。未使用らしきストラップまでついている。おぉ、何ということだ。さっさと買えと言われている気がしてきた。困ったなコレは。
変節
自分の人生は、平均寿命比で既に峠を超えている。過去においては目標金額を貯めてからモノを買うことを美徳としていたが、残り時間は減る一方であり、金を貯めるために時間をかけることによる機会ロスは極力削減すべきだ、と考えるようになってきた。
もはやいつ死んでしまってもおかしくないのだ。病気にならなくても、精神的にダメになる可能性もある。体力や判断力の低下によってくだらない怪我をする可能性もある。天災に遭って生きるだけで精一杯になるかもしれない。自分が潰れる前にやりたいことはやるべきだ。過剰な我慢などしないほうが良い。
いい年したオッサン(爺さんと言ったほうが近い)がホイホイとバイクやクルマ、それに各種のガジェット類を買い替えまくる姿を見ては違和感を感じていたのだが、自分がその域に近づいてくると、その行動の意味が少しだけわかるような気がしてきた。今やらなければ次など無いかもしれないのだ。金が貯まった頃に、そのブツを買えるか、使いこなせるかどうかもわからないのだ。
そんなわけで、最近は比較的本能の赴くままに購入するようになりつつある。それが良いのか悪いのかは判断し難いが、買わずに(行動せずに)後悔することをやめようという趣向だ。ちょっと前に買ったGRIIIもそのパターンに乗ったもので、後悔など全くなく、明らかに満足感が上回っている。今回もその方針で動くことにした。勿論ある程度の自制は必要だが、上へ下へと大騒ぎするほどの金額でもない。
ま、昨今は行動自体の制限が多すぎるので、購入ぐらい好きにさせろという部分があることは否定できない。
行ってしまえ
閑話休題。
そんなわけで、ものすごく長い前置きになったが、その108,000円の良品を注文した。使用頻度が落ちまくっていて1年ぐらいほとんど使っていないHD DA16-85mm(よく使う18-135mmより明らかに写りは良いが、KP用としては少々デカいのであまり使う気が起こらない。くっきり写るのでクルマ撮影には向いているが、そもそもクルマ撮影用にK-1を買うなら余計に使い道が無くなる)を下取りに出し、そこに数%の下取り額UP特典がついたため、差し引きで85,000円ぐらいになった。
数日後に届いたK-1は、やはりデカくて重かった。カメラ屋で触っているとあまりピンとこないが、自宅にそれがあると明らかにデカい。まあ買ってしまったのだからそこはとりあえずしまっておく。
使用感
早速バッテリーを入れ…ようとしたのだが蓋の開け方がわからない。フルサイズというか、フラッグシップ系のデカいバッテリーの型は違うのだろうか。あれこれいじっているうちに開く。ようやくバッテリーを入れて蓋を締め、K-1用標準レンズとなるであろうsmc PENTAX-FA 43mmF1.9 Limitedを装着してスイッチを入れた…のだが何も起こらない。バッテリーがすっからかんだった。このぐらい充電しておいてほしいものだ。渋々充電器をコンセントに繋いでバッテリーをセットする。
しかしK-1は一眼レフなので電池がなくてもファインダー操作は可能だ。覗き込んだ世界が広い。これが本来の43mmの画角なのか。APS-Cのカメラだと少々窮屈な画角だったのだが、フルサイズでは実に使いやすそうな画角だ。ピントリングをぐるぐる回してしばし楽しむ。思わずシャッターボタンを押すが勿論何も起こらない。
我慢ならずに中途半端に充電したバッテリーを入れて適当に撮ってみる。操作系はPENTAX製品なので大体わかっている。AFのピント合わせはKPより若干速く感じる。シャッターフィールはだいぶ違って、K-1の方がシャコッとした小気味良いメカニカルキーボードのような音だ。撮った写真を背面液晶で見てみたが、当たり前の話なのだが画角に対するボケ感が違う。この画角と絞りならこんなもんだろう、という刷り込みとかなりズレている。
部屋の小物や庭の植木を撮っても面白くないので、原チャリでいつもの場所に行って、いつものような写真を撮ってみる。しつこいようだが、FA43mmでこんなに広く撮れるというか、そんなに下がらずに普通に撮れるというのは新鮮だ。コレが本来の…というやつか。
とはいえ画角的にも構図的にもごく普通なので、PCブラウザやスマートフォンで見たらなんてことない写真にしか見えない。iPhoneの写真と大差無いと言われそうだ。センサーサイズがぜんぜん違うので、当然こちらのほうが繊細で自然な画像なのだが、Webサイズに縮小するとあまり違いがわからない。
その後も何枚か適当に撮った中で、妙に気を引いたのがこれ。
うまく表現できないが、原チャリの紺色にしっとりとした深みが感じられる。この写りはCCDセンサーのK-mで初めてデジタル一眼レフで撮った時の驚きを思い出させる。実際に今この場でK-mで撮ってもこんな感じにはならないとは思うが、そのぐらい(普通のコンデジからデジタル一眼レフに替えた時と同じぐらい)の驚きだ。色合いなんて今時ソフトウェアでどうにでもなると言えなくもないが、この深みはそのレベルを超越しているように感じられる。
KPは比較的アッサリした色合いでいかにもデジタルっぽい画像になることが多く、そこに漠然とした不満はあった(勿論カメラのせいだけではない)。K-1の画像は、それに比べるとコッテリとしていて、且つ立体感があるように感じられる。これがセンサーサイズの余裕というやつか。もしかして無意識にこれを求めていたのだろうか。
まあどれをとっても自己満足だと言われたらそれまでの話になってしまうし、世の中のほぼすべての人は、こんな中途半端な構図の画像を見ても何とも思わないだろう。しかし自分は何度もこの場所で似たような写真を撮っていて、記憶の中にあるそれらの写真と比べて「コレは違う、違うんだよ」ということを明確に感じている。
うーんなんだろうこの阿寒湖の水のような深みと透明感のある紺色は。
適当に撮ってこんなのが撮れるというだけで、K-1の価値が感じられるというものだ(しつこいようだけど自己満足ですよ)。
無駄な我慢をせずに買ってよかった、と自分の行動を正当化する。勿論「嗚呼、我慢しておけばよかった」と思うこともあるだろうけど、やってみないとどっちなのかわからないのだ。だから、それでいいのだ。
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