天城越え、ならず

天気予報によれば、この日の最高気温は6度。午後から晴れることになっているけど、とても予報が当たるとは思えない薄暗い空。何かの事情が無ければ、とてもバイクなんかに乗ろうなんて考えないような天気だ。
しかし、この日はちょっとした事情があって、どうしてもバイクに乗っておきたかった。
ブレーキレバー修理を終えた頃には、既に10時を過ぎていた。
寒いときの行き先は伊豆と相場が決まっている。伊豆といってもピンキリで、これからだと何処までいけるのかは判らないが、とりあえず行けるところまで行く、という安易な決定を下す。
そして、町乗りと大差無い格好で、しかもカッパも持たずに家を出る。何から何まで安易だ。
走り出して早々、ガソリンがあまり無さそうだということに気付く。柳島にあるセルフGSに入れて給油する。たった5kmくらいしか走っていないのに、寒くて手がまともに動かない。先がおもいやられる。
やっぱりツーリングなんか止めておいた方がいいんじゃないかと思った矢先、店員ツカツカと歩み寄ってきた。セルフなのに何の用かと思ったら、何故か缶珈琲をくれた。ジョージアのキャンペーンらしい。なんだか「寒いだの何だのグダグダ言わずにさっさと行け!!」という無言の檄を聞いたような気がしたので、思わず西湘バイパス方面に向かってしまった。
これだけクソ寒いのにR134はそこそこ混んでいる。この車たちは、こんな天気の中を何処に行こうというのか。ガンガンすり抜けをかましていく俺もそう思われているに違いない。大磯から西湘バイパスに乗ると、左側に大磯海水浴場が見える。ろくに波も無いのに、サーフボードに座ってプカプカ浮いている奴らがいる。俺なんかより、こいつらこそどうかしている。
西湘バイパスの無料区間が終わったあたりで雨が降り始めた。よりによって有料区間に入ったばかりのところで
降ってくるとは。さっきの缶珈琲で全ての運を使い果たしたのか。もし無料区間に居たら、西湘バイパスなんてさっさと降りてしまったに違いない。既に有料区間に入っているので、暫く出口も無い。
こうして2回目の帰宅機会も逃し、寒さをこらえつつダラダラ走りながら料金所へ。またしても手がかじかんでまともに支払いができない。こういう時はグリップヒーター付きのK100RSだったら楽勝だったのに。
料金所を出ると、遂に雨は雪に変わってしまった。寄るつもりも無かった西湘PAに入り、貰ったばかりの缶珈琲を飲む。懐炉代わりに内ポケットに入っていた缶珈琲は、既にぬるくなっていた。ブラック以外は買わないのだが、貰い物だけに文句は言えない。
甘ったるい珈琲を飲みながら、今後の予定を考える。
・・・予定も何も無い。このまま海沿いに行くしかあるまい。
この状況で箱根を登ろうなんて奴はよっぽどの馬鹿だ。
相変わらずダラダラ走っていると、目の前をダラダラ追い越していったサニーが白バイに捕まった。もっとかっ飛ばしているベンツとかセルシオとか色々居ると思うのだが、よりによってショボいサニーを捕まえるとは、神奈川県警は実に情けない。あんなのせいぜい20km/hオーバーぐらいじゃないのか。お前はただ単に停まって休むための口実が欲しかっただけなじゃないのか白バイのオッサンよ。
早川出口が近付いてきた。貧乏人は決して石橋出口なんか使わない。たかだか数百メートルのために100円も払うわけがない。有料である限り、未来永劫使うことは無いだろう。しかし、肝心の早川出口が猛烈に混んでいる。こんなに混んでいるのは見たことが無い。車だったら間違いなく箱根方面に行ってしまうところだが、バイクなので渋滞なんて無関係だ。すり抜けと回り道を織り交ぜて進み、真鶴道路と真鶴旧道の分岐を過ぎてようやく空き始める。どうやら雪もやんできたようだ。
真鶴道路の手前で地元民御用達の料金所ショートカットルートに入る。この道の狭さ、標高差といった険しさは半端ではなく、一人で夜中に走るなんて論外なほどの道だ。その道をダラダラと一速で登っていくと、ちょっと登っただけなのに気温が下がり、しかも雪まで降り出すのだからたまらない。
峠を越えて下りに入ると、徐々に気温は上がりだす。こんな状態では、とても西伊豆方面なんかには行けないだろう。山越えはちょっと無理がある。海岸線を南下する以外あるまい。しかし、行きと帰りが全く同じ道だというのは、俺のツーリングポリシーに著しく反するので、どうしても気が進まない。道のことばかりを考えながらR135を進んでいるうちに、伊豆の真ん中、つまり修善寺や天城湯ヶ島あたりを通って南下して、海岸線を通って戻ってくることに決めてしまった。理由は特に無い。ふと思いついただけ。
熱海駅前、来宮駅前を通過し、旧熱函道路に向けて熱海峠を登り始めた。さっきの真鶴の裏道と同じく、山を登るとあっという間に寒くなる。ガタガタ震えながらも峠の中腹まで登る。函南に向かうトンネルに入ってようやく一息つくが、トンネルはすぐに終わってしまって、すぐに雪の世界に戻ってしまう。いい加減我慢ならなくなってきた頃に家や商店が増え始め、R136との交差点に着く。手をエンジンにあてながら信号待ちしていると、原チャリに乗ったお婆さんに伊豆長岡への道を聞かれたが、俺に判るはずが無い。
R136を南下して修善寺方面に向かう。交通量はそれなりに多い。かなり腹が減ってきたが、心のどこかから「停まったら死ぬぞ!」という声が聞こえてきて、停まるに停まれない。コンビニや牛丼屋、ラーメン屋の前を通り過ぎ、ようやく修善寺まで来てみると、遠くに見える天城の山々は真っ白であった。
こんな所に突っ込んでいくほど馬鹿ではない。こんな雪中行軍やってられるか。もう駄目だ、帰るぞ帰るぞ。地図を出すのも面倒なので、記憶を辿って中伊豆方面に向かった。来た道を帰る手もあるし、箱根や御殿場方面を通って帰る手もあるが、同じ道は極力通らないのが俺のポリシーであるからして、やっぱり気が進まない。
修善寺ではほとんど殆ど降っていなかった雪は、山を登るにつれて酷くなる。このパターンもそろそろ飽きたぞ。天気が天気だけに交通量は少ない。晴れていれば快適に走れるところだが、寒いのであまり飛ばす気になれない。暫くすると伊豆スカイラインの冷川ICに到着。ここまで来て有料道路に乗るのも馬鹿馬鹿しいので、当然通り過ぎる。この先はもう道を覚えていないので、地図確認のために仕方なく停まる。

家で淹れてきたブラック珈琲は、とっくにアイス珈琲になっていた。全然美味くない。ペットボトルじゃなくて魔法瓶に入れてくればよかった。寒さと飢えが激しい上に、珈琲も不味いときたか。こうなりゃさっさと帰るしかあるまい。
ここから先は二手に分かれるが、伊東方面に抜ける険しそうな道を行くことにした。多少クネクネした道の方が、スピードが出ないから寒くないだろう、なんていう、極めて消極的な理由。その道は、地図の通りのクネクネで、センターラインも無いような道だったが、それなりに車も通る。伊豆には案外こういう道が多い。
山を越えて伊東に出る頃には雪も止んできた。R135をちょっと走ったところにある道の駅に寄り、試食品を食いまくって空腹を満たす。建物の二階にある静岡名物・スマル亭で饂飩でも食おうかと思ったが、やけに混んでいるのでパス。他の食堂は全て値段が高いので当然パス。土産のタコわさびを買って建物を出る。やっぱり外は寒い。温泉にでも入りたくなるが、安易に出てきたせいで何も道具が無いので、これもパス。
あとはひたすら帰るだけ。このあたりのR135は、バスや一般車が多すぎて面白くも何ともないので、ただ走るだけになってしまう。そして湯河原まで来たところで、どの道を選択するか悩む。来るときの峠道はあまり気が進まないので、真鶴旧道を選択した。
旧道に入り、ミカン屋が現れるあたりから雪が降り始めた。どうせ山の上だけだろう、と思ったら、根府川の駅を通り過ぎて、海岸線に戻ってもまだ止まない。真鶴道路は当然のように大渋滞だ。雪の中をすり抜けをしていくのは非常に疲れるが、車に挟まれてダラダラ進むよりはマシだ。仕方なくそのまま走りつづけるうちに、西湘バイパスが見えてきた。
寒い有料道路でさっさと帰るか、多少は寒くない一般道をダラダラ帰るかで悩んだ挙句、早川ICから西湘バイパスに乗る。このあたりからさらに雪が激しくなり、手でシールドを拭きながらでなければ走れなくなってきてしまった。途中の料金所が実にうざい。雪はまるで止まない。遂にズボンも塗れてきた。左手の握力は明らかに低下している。もはやツーリングではなく雪中行軍だ。新田次郎の小説が頭に浮かんでくる。またしても「停まったら死ぬぞ」の声が聞こえてきて、ヤケクソで歌を歌いながら走る。そして、どうにかこうにか家に着いた。俺は伊豆くんだりまで一体何をしに行ったのか。この数時間、俺は一体何をやっていたのか。
しかしまあ、家で食ったサッポロ一番の美味いのなんの。